ここでは、これまでに発表した主要論文関して解説を行なっています。
解説:ケルビンプローブ力顕微鏡(KPFM)は、探針-試料間の接触電位差を測定する方法です。NC-AFMと組み合わせることで、原子分解能での接触電位差測定が可能であると期待されています。しかしながら、接触電位差は本来マクロな物理量であり、原子分解能で測定されているKPFM像のコントラストが何を意味しているのかは未だ不明です。これまで、いくつかのグループから解釈に対する提案がなされています。例えば、測定における設定の不完全さによる凹凸信号とKPFM信号のクロストークという考えや、探針と試料間の電子状態の共鳴現象によるという推測がなされています。本論文では半導体表面でのKPFM像の解釈を行うため、実験と第一原理計算によるアプローチを行いました。具体的には、極微量のPb原子を埋め込んだSi(111)-(7x7)表面において、Si原子上での探針に働く相互作用力の距離依存性と印加電圧性を測定した。試料表面の各ポイントにおいて印加電圧依存性から接触電位差を求め、接触電位差像を作成し(これは表面凹凸とのクロストークがないが、測定に非常に時間がかかる)、この像と同じ領域で測定したKPFM像とを比較しました。その結果、両者は同様のコントラストで、原子分解能のKPFM像には、凹凸信号の影響はないと判断しました。KPFM信号の距離依存性を測定すると、探針に働く力(探針と試料の原子間に働く共有結合力)の距離依存性と同様の曲線が得られました。第一原理計算からは、探針先端の分極が変化し、それが局所的な接触電位差を生じさせていることがわかりました。ただし、トンネル電流の急落現象(Applied Physics Letters 2009)のような現象も起こるため、それらも含めた第一原理計算が将来的には必要です。
解説:他グループから発表されたSTMに関する論文(Jelinek et. Al., Phys. Rev. Lett. 101, 176101 (2008))において、バイアス電圧が200mV程度でトンネル電流の距離依存性を測定した時に、トンネル電流が急落するという現象があることが発見されました。このグループの第一原理計算と実験によると、探針先端原子がSiの場合、探針をSi表面に近づけると、探針先端のSi原子と試料表面のSi原子の間に共有結合が生じ、ギャップが開き電流が流れなくなります。この「共有結合ができる」ということを実証するために、我々のグループでは、本論文において、NC-AFMとSTMの同時測定を実施した。具体的には、アトムトラッキングとフィードフォワード技術(下記論文Nanotechnology 2005、およびApplied Physics Letters 2005、Applied Physics Letters 2007)を駆使し、Si(111)-(7x7)表面のSi原子上でフォーススペクトロスコピー(F-Z曲線)測定とトンネル電流の距離依存性(I-Z曲線)測定の同時測定を行いました。探針は金属コートされたSi探針を用いました。その結果、試料表面に近づけるとトンネル電流が急落する現象を確認し、その位置で探針に働く引力が最大になることがわかりました。これは、探針先端に付着しているSi原子と試料表面のSi原子が共有結合をしていることを意味します。この結果は、力と電流には関係があることを示唆しており、その関係を実験と第一原理計算の手法を用いて解明しつつあります(論文準備中)。
解説:交換型原子操作(Nature Materials 2005)や空欠陥へ移動する原子操作(Physial Review Letters 2007)では、探針を試料に平行な方向で走査することで、表面に埋め込まれている原子を表面に平行な方向に移動させました。原子が操作される条件は、探針先端原子の状態に大きく依存しています。動かされる表面原子と探針先端原子がつくるポテンシャルの釣り合いによって原子が動くか動かないかが決まると考えています(現時点では解明できていません)。原子操作が行われている瞬間では、探針は表面近傍にいるため、探針先端の原子が動かされても不思議ではありません。そこで本論文では、探針先端原子と試料表面原子を交換させることに成功した実験について述べています。この方法では、探針をペンのように操り、インクのように試料表面に原子を落とします。この方法においても室温環境において原子を用いて文字を書く(描く)ことができ、制御性良く原子の埋め込みを行えることを示しました。この実験では、Si(111)表面にSn原子を蒸着した表面を用いたが、探針(Si製)からはSi原子とSn原子が交互に入れ替わる場合だけでなく、Si原子ばかりが表面に埋め込まれる場合、Sn原子ばかりが表面に埋め込まれる場合などのパターンがあることがわかりました。原子間力顕微鏡を用いて共有結合をしている原子を操作するには、探針の状態が非常にクリティカルに効いてくることがわかりました。
解説:NC-AFMで2種類の元素が存在する試料を画像化する場合、画像コントラスト(例えば画像の明暗から)で判断することが可能です。元素の存在比を故意に変えながら画像を測定することで、画像の明暗(つまり原子位置が高いか低いか)からそれぞれの原子種を特定することが可能です。一方、表面の原子が3種類以上になると、画像コントラストからは判断することが困難になってきます。これは単に3種類の原子が表面に存在するからというだけでなく、周辺原子種の違いによる配位効果によって電子が移動し、凹凸が変化してしまうからです。本論文では、アトムトラッキングとフィードフォワード技術(下記論文Nanotechnology 2005、およびApplied Physics Letters 2005、Applied Physics Letters 2007)を駆使し、SiおよびSn、Pbが存在する表面において、フォーススペクトロスコピー測定を行いました。その結果、NC-AFM凹凸像からは判断できなかった3種類の原子が、フォーススペクトロスコピーによってはっきりと識別できることが可能にしました。具体的には、SiおよびSn、Pbが存在する表面で、39個の原子上でフォーススペクトロスコピー測定によって得られたF-Z曲線を比較しました。NC-AFM凹凸像からは(3種類の原子が表面にあるにもかかわらず)2種類の原子しかないように見えるのですが、フォーススペクトロスコピーの結果(F-Z曲線)には明らかに3つのパターンがあることがわかりました。最大引力値の値を比較すると、SiおよびSn, Pbの比が1:0.77:0.59であることがわかりました。これを別の探針で行なっても同じ比が得られています。なお、これらの値は、SiおよびSnの2種類が存在する表面で行ったフォーススペクトロスコピーの値(Si:Sn=1:0.77)と、SiおよびPbの2種類が存在する表面で行ったフォーススペクトロスコピーの値(Si:Sn=1:0.59)と同じです。このように、フォーススペクトロスコピーによって個々の原子の識別が可能であることを実証しました。
解説:下記論文(Nature Materials 2005)で行った原子位置を交換する原子操作実験において、交換がおこる原因は、隣接する試料表面の2原子間のポテンシャルバリアが探針先端原子によって引き下げられているためであると考えています。しかしながら、交換される原子がどのような経路を通過し、隣接する安定サイトへ移動するのかはわかりませんでした。そこで、2原子間の交換よりも簡単な条件で室温原子操作における原子の移動経路を解明することにしました。具体的には、Si(111)-(7x7)表面において、空欠陥に隣接するSi原子を空欠陥に移動させる原子操作の実験を室温環境下で行いました。Si原子の空欠陥への移動は、動かしたいS原子と空欠陥の方向にAFM探針を走査することによって行いました。その時の探針と試料間の距離は、通常の画像を測定する距離よりも少し近づけて、原子が移動しやすいようにしています。精密な位置決めを行うために、アトムトラッキングおよびフィードフォワード技術(下記論文、Nanotechnology 2005、およびApplied Physics Letters 2005、Applied Physics Letters 2007)を用いました。表面のSi原子が空欠陥へ動くときの探針の動きを解析すると、隣接する空欠陥へ直接移動するのではなく、Si原子位置→準安定な位置→空欠陥と、Si原子位置と空欠陥の間に存在する準安定な位置を介して移動することが実験的に分かりました。探針の効果を考慮した第一原理計算を行った結果、さらに別のサイトを介して動くことが分かりました。このように、空欠陥への移動だけでも、原子の移動は非常に複雑であることがわかりました。
解説:NC-AFMは測定量である周波数シフト(探針に働く原子間力によって生じるカンチレバーの共振周波数の変化)の変化もしくは周波数シフトを一定にするフィードバック出力の変化を画像化しています。前者を「周波数シフト像」、後者を「凹凸像」と表現されています。NC-AFM像の画像コントラストは、原子の凹凸を反映していると信じられていますが、実際のところはっきりわかっていませんでした。実際、一定にする周波数シフトの値を変えながら、凹凸像を測定すると、画像コントラストが異なることがわかり、単純に凹凸を反映しているとはいえません。そこで、探針の効果を含めた第一原理計算を行いました。その結果、原子間力が働き始める(つまり、周波数シフトの値が小さい)領域での凹凸像はほぼ真の凹凸を反映していることがわかりました。さらに、2種類の原子(SiとSn)が存在する試料表面において、フォーススペクトロスコピー測定を行いました。得られたF-Z曲線を解析した結果、周波数シフトの値が大きいとき、つまりAFM探針を試料に近づけすぎているときの凹凸像は、真の凹凸でなく見かけの凹凸であることがわかりました。これは、異種原子の違いによる原子間力の距離依存性の違いを見ているからである。本論文の研究成果によって、原子構造を議論するときには、探針を試料に近づけすぎない状態で周波数シフトが小さい状態で測定するべきであるということを意味しています。なお、フォーススペクトロスコピーは、アトムトラッキングおよびフィードフォワード技術(下記論文Nanotechnology 2005、およびApplied Physics Letters 2005、Applied Physics Letters 2007)を用いて位置決めを行いながら行い、異なる原子種ではF-Z曲線の形が異なることを実験的に示しています。
解説:下記論文(Nanotechnology 2005およびAppl. Phys. Lett. 2005)で説明した通り、アトムトラッキングは原子レベルで熱ドリフトを補正する非常に有用な手法です。一方、実際の測定(NC-AFM画像測定やフォーススペクトロスコピー)では、アトムトラッキングと測定を切り替えながら行う必要がありました。なぜなら、アトムトラッキングでは、試料の狙った原子上近傍に探針を配置させ、探針に微小な円運動をさせながらその原子をなぞる必要があるからです。そのため、画像測定やフォーススペクトロスコピーのデータを取得している間は、探針の円運動を行うことができません。したがって、例えば画像測定においては、探針の走査中にはアトムトラッキングをオフにするので、たとえ同じ領域を測定できても、得られた画像は熱ドリフトの影響で歪む場合があります。また、フォーススペクトロスコピーのデータを測定している間は、アトムトラッキングのフィードバックをオフにする必要があり、熱ドリフトの影響が測定データに含まれてしまっていました。また、熱ドリフトの影響があまりにも大きいときには再現性のあるフォーススペクトロスコピーの実験は困難です。本論文ではその問題点を解決するための新しい手法を考案しました。具体的には、アトムトラッキングで熱ドリフト速度(数十分ならば一定測定であることがわかっている)を測定し、その速度にあったドリフト量を位置制御部に加えることにしました(フィードフォワード技術)。この結果、歪のない画像測定が可能となり、フォーススペクトロスコピーの再現性が向上しました。さらに、フォーススペクトロスコピーを拡張した2次元フォースマッピングの測定も室温で可能となりました。このように、アトムトラッキングとフィードフォワード技術の組み合わせによって、室温環境下であっても完全な熱ドリフトフリーに近い状態を実現でき、上述している世界的な成果を得ることができました。
解説:本論文では、NC-AFMが画像を測定する顕微鏡の機能だけでなく、様々な物性評価を単原子レベルで行える分析顕微鏡としての機能があることを示しています。まず、アトムトラッキングの技術とNC-AFMのイメージング手法を組み合わせ、室温環境下において100Å x 100Å程度の微小領域でさえも、熱ドリフトの影響を補正し、同じ領域を1時間以上画像化することが可能にしています。これは、これまでの室温SPMの測定ではほぼ不可能でした。さらに、探針−試料間にはたらく力の距離依存性(F-Z曲線)測定である「フォーススペクトロスコピー測定」を、室温環境下において、狙った原子上で行えることを実証しました。同じ原子上で多数回のフォーススペクトロスコピーを行い、加算平均することで、非常にノイズの少ないF-Z曲線の取得が可能となりました。ノイズレベルはこれまでの1/5〜1/10に改善することができました。フォーススペクトロスコピーは、元素の識別もしくは表面活性、結合力、ポテンシャル、電荷移動などの情報を単原子レベルで測定できると期待されていたが、ノイズが大きいことがこれまで問題でした。本論文で行った実験のとおり、アトムトラッキングとNC-AFMの組み合わせで、これまで困難と思われていた実験の実施可能性を示しました。
解説:下記論文(Nature Materials 2005)によって、室温環境でも原子操作が行えることを示しましたが、このような個々の原子を操る実験では探針先端の原子と試料表面の原子の3次元での相対位置を精密に行う必要があります。しかしながら、室温環境下では、「熱ドリフト」によって、探針と試料の相対位置が時間とともに変化してしまいます。熱ドリフトは非常に温度が管理された実験室であっても存在し、熱ドリフトによって変化する探針−試料間距離は我々の室温NC-AFMでは数Å/分あります。このため、室温では熱ドリフトのため、原子レベルでの精密な位置決めを行うのは困難です。下記論文の交換型原子操作実験が成功した理由の一つは、偶然に熱ドリフトがほぼゼロの状態であり、位置決めが行い易かったためです。したがって、室温における原子操作の実験には熟練した実験技術だけでなく運も必要でした。本論文は、熱ドリフトの影響を補正し、探針と試料の相対位置の変化を抑えるための技術(アトムトラッキング)に関するものです。具体的には、試料表面に垂直な方向は、NC-AFMの通常の距離制御(カンチレバーの共振周波数の変化が一定になるような制御)を行い、試料表面に平行な2方向には、探針(もしくは試料)を原子よりも小さい半径で円運動させ、円運動による探針へのレスポンスから原子の頂上を見つけ出す方法を行います。この方法では、熱ドリフトで相対位置がずれてもフィードバックによって常に原子の頂上に探針が追従(トラッキング)します。この手法を利用して、0.1Åの精度での位置決めを1時間以上可能にし、熱ドリフトフリーの状態を実現しました。
解説:走査型プローブ顕微鏡(Scanning Probe Mciroscopy; SPM)を用いた原子操作は、探針を用いて表面原子を動かす実験です。原子操作の研究は、1990 年IBM のグループによって極低温走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy; STM)を用いて初めて行われたものが最初でした。その後、表面原子の動き方を詳細に調べる実験をはじめ、様々な原子・分子の操作実験が行われました。この技術を利用することで、探針先端の原子種を制御することが可能になりました。これらの実験の特徴は,基板表面にXe 原子やCO 分子など,基板との吸着が弱いものを熱拡散しないような極低温環境によって行われてきたところにあります。一方、本論文では、室温環境でも原子操作の実験を行え、しかも共有結合をしている表面の原子を動かすことができることを示しました。本論文における実験は、室温超高真空で動作する非接触原子間力顕微鏡(Non-contact Atomic Force Microscopy; NC-AFM)を用いて、AFM探針でGe(100)基板表面に埋め込まれているSn原子の位置を、隣接するGe原子とで交換するというものです(交換型原子操作)。Sn原子はGe原子と共有結合しており、通常は室温で熱拡散することがありません。しかし、AFM探針の位置と走査方向をうまく制御することで、隣接するSn原子とGe原子の位置を交換できることを発見しました。室温での交換型原子操作の再現性を示すために、Ge(100)表面に埋め込まれているSn原子19個を用いて“Sn”と文字を書きました(描きました)。この結果によって、NC-AFMは表面の原子を画像化する “Seeing is Believing”型のツールとしてだけでなく、積極的に表面の構造を変えながらナノ構造を捉える “Seeing is Creating”型の新しいツールとして利用できることがわかってきました。