これまで一貫して、非接触原子間力顕微鏡(Noncontact Atomic Force Microscope; NC-AFM)技法の先鋭化に取り組んできました。この期間に得られた主な研究成果は、①NC-AFMによる表面原子の識別計測、②NC-AFMと走査型トンネル顕微鏡(STM)との高度ハイブリッド計測の確立です。これらの研究により、単なる表面画像測定装置であったNC-AFMを、表面における種々の物性計測設備へと進化させることに成功してきたと自負しています。さらに、表面原子の原子間結合を切り替えることにも取り組み、室温環境下において、局所的な表面原子構造を任意に操作・構築しうるNC-AFM設備の開発にも成功しました。この自ら開発した新規NC-AFM装置を駆使し、③室温環境下における原子操作実験を行い、半導体基板表面に埋め込まれているドーパント原子で文字を書くことに成功している。また、これらの測定手法を④触媒材料測定へ展開し、表面に存在するナノクラスタの測定で成果を得ました。これらの成果は、⑤NC-AFMの高安定化と高精度位置制御技術の開発を行なってきた結果です。
AFM探針先端の原子と試料表面原子の間に働く力の距離依存性を精密に測る手法を確立しました(フォーススペクトロスコピー)。その結果、固体を形成する個々の原子の結合力や距離依存性を、周辺原子種の影響をふまえて測定できるようになりました。具体的な研究成果としては以下のとおりです。
STMは原子分解能を有する走査型プローブ顕微鏡として、NC-AFMよりも多く表面科学の分野で利用されています。STMで測定される物理量は局所定な電子状態で、AFMの測定量(試料の構造)と異なっています。同じ探針を用い、同視野でAFM/STMの同時測定を行うことができれば、試料表面のナノ構造と電子状態の関係を綿密に調べることができるでしょう。AFM/STM同時測定は古くから行われてきましたが、2つの信号のクロストークや測定精度に問題があり、信頼性のデータが得られていませんでした。そこで、金属コートされた探針と高精度位置制御技術を用いて、これらの課題を解決し、探針先端に働く力と流れる電流を同時に、かつ安定に測定する手法を確立しました。さらに、走査型トンネル分光と力分光の同時測定を室温で可能にしました。
近年、AFM/STM同時測定において非常に重要な成果を得ました。第一に、先端にSi原子がついている探針を用いて、Si(111)-(7x7)表面のアドアトム上で力とトンネル電流の距離依存性を測定したとき、トンネル電流が急落するが、この現象が起こるのは、探針に働く引力が最大になろうとするとき、つまり探針と試料の原子同士が共有結合をつくるときであることがわかりました(Appl. Phys. Lett. 94, 173117 (2009)、図参照)。第二に、Si(111)-(7x7)表面上において、力とトンネル電流の関係を明らかにしました。原子分解能で力と電流の同時測定を行う場合、測定に寄与している探針先端の波動関数は、同じものであると考えられます。言い換えれば、原子レベルでは力とトンネル電流になんらかの関係があるはずです。探針に働く力と流れるトンネル電流の関係に関して精密な実験を行い、それらの関係を調べました。具体的には、力Fとトンネル電流Itの関係は、Si表面とSi探針の組み合わせではIt∝F2であることがわかりました。この結果は、他グループが行った金属表面での測定の結果(It∝F)とは異なります。共同研究している海外の理論計算のグループが第一原理計算を行い、半導体表面でのIt∝F2の関係は表面エネルギー準位の縮退によると解釈しています(論文投稿中)。
室温において、試料表面に埋め込まれた状態、すなわち周辺の原子と強く結合している原子を(結合を切りながら)AFM探針を用いて動かすことに、世界で初めて成功しました(Science 322, 413 (2008) およびNature Materials 4, 156 (2005)他)。これまでSTMを用いて他グループによって行われた原子操作の実験は、極低温環境において、金属基板表面上の希ガス元素といった結合力の弱い材料系が用いられていました。一方、我々のグループで行った原子操作実験は、結合を切りながら原子を動かすことができるため、原子操作によって動いた原子は室温で安定です。AFM技術(ハードウェアおよびソフトウェア)の技術を改良し、室温環境で原子を用いて文字を書く(描く)ことに成功しました(図参照)。さらに、原子操作を行いながら表面の構造を自由自在に変化させ、フォーススペクトロスコピーを行えることも示しました。これらの成果は、原子操作実験は低温でしかできないという常識を覆したものです。室温原子操作のメカニズムを統計的な実験・解析によって明らかにし、熱揺らぎがなければ原子位置の交換が難しいこと、つまり強く結合する材料系での原子操作実験は低温よりも室温が望ましいことをしています。近年では3次元クラスタの作成にも成功しまし [論文準備中]。
上記の成果で平成21年度文部科学大臣表彰(科学技術賞研究部門)およびファインマン賞(アジア人初)を受賞しました。
フォーススペクトロスコピーおよびAFM/STM測定、原子操作実験を、触媒材料測定へ展開しました。具体的には、TiO2(110)-(2x1)表面におけるAuクラスタおよびK原子を観察しました。さらに、TiO2(110)表面にAuを吸着し、蒸着量によるAuクラスタの観察に成功しました。室温では、TiO2(110)表面上でAuは容易にクラスタ化していることを明らかにしました。さらに、この表面において、NC-AFMの応用測定であるケルビンプローブ力顕微鏡(KPFM)を用いて、Auクラスタの電荷について調べました。その結果、この表面ではTiO2(110)表面からAuクラスタに電荷が移動し、Auクラスタは常に負に帯電していることを明らかにしました(Appl. Phys. Lett. 99, 123102(2011))。また、TiO2(110)表面にK原子を吸着させ、K原子の移動しやすい結晶方位を発見し、それを第一原理計算で検証しました(Phys. Rev. B 84, 085413(2011))。
NC-AFMに関する上記の成果を得るためには、非常に安定に動作するNC-AFMが必要でした。超高真空(<1.0e-8 Pa)で動作し、安定に原子の観察が可能なNC-AFMの開発を行ってきました。NC-AFM開発における、私の代表的な成果の一つは、AFM探針の変位検出方法の高感度化です。一般的に用いられている変位検出方式は、レーザーと分割フォトダイオードを用いた方式(光てこ方式)ですが、超高真空中で熱ドリフトや機械振動を除去し安定動作を行うために、変位を光ファイバーで検出する方式(光干渉方式)の高感度化に成功しました。AFM探針の変位検出感度20fm/(Hz)^0.5以下を達成し、AFM本体の装置性能(空間分解能)は、1pm(垂直)および 10pm(水平)を達成しました。この結果、多くの試料表面での原子分解能観察が可能になりました。絶縁体および半導体、金属表面でのNC-AFM原子分解能測定で得られた画像を図に示します。試料によっては、同様に原子分解能を有する走査型トンネル顕微鏡(STM)よりも高分解能で画像を取得できることを示しました(Nanotechnology 18, 84012 (2007))。
さらに、上記の表面原子識別やAFM/STMハイブリッド計測、原子操作といった実験を精度良く行うための、高精度位置制御技術を開発しました(Appl. Phys. Lett 90, 203103 (2007), Noncontact Atomic Force Microscopy vol.2, 米国特許11/802624など)。この技術を用いることで、熱ドリフトが存在する室温環境でも、ピコメートルオーダーでの探針—試料間位置決めが可能となりました。熱ドリフトのない極低温環境が必要な実験を、室温中で実施可能になりました。
これらの成果によって計測自動制御学会賞(技術賞)と日本学術振興会ナノプローブ賞を受賞した。